言いたいことやまやまです

2022年2月に出産した1985年生まれの主婦です。資料作成が好き。

育児日誌ブログ「母になっても言いたいことやまやまです」を毎週月曜日に更新中!

「デスク用イエス・ノーまくら」の開発を求める

OLらしい悩みができた。その名も「職場の人間関係」。大人は気にしないレベルなのだろうけれど、アラサーにしてトゥーヤングなハートを持ち合わせる私。話しかけるたびに「はァ?忙しいんですけど」というオーラを醸し出されると委縮してしまう。ビビって「あ…あとでも、いいですよ…」とご提案すれば、「じゃ、あとにしてください(吐き捨てるように…と感じてしまうのは私の偏見に違いない)」。

いいんです、タイミングが悪いときって、あるから。

空気が読めなかったのはすみませんが、大悪事を働いたわけでもなし。計算していた風でもなかったし。いや、でもなんか企画考えていたところだったら悪かったかな…やっぱり悪事?いやいや、誰かを殴ったわけじゃないんだから堂々としていればいいんだ。

そう自分に言い聞かせても、敵意というか、嫌悪感というか、負のオーラに向けられると心臓がバクバクしてしまう。なんと弱い自分…もっとやるべきこと、悩むべきことはあるのだから、気持ちをそちらに傾ければいいのに…ううう、情けない…。

中森明菜の「十戒」を聴きながら心で「冗談じゃないィィィィ~」と歌い叫んでもなお、縮みあがっているわが心よ。最近の愛読書はもっぱら、心屋仁之助氏の本です。

自業自得だった

でもこれ、自分が常日頃やっていることのやまびこだった。私をよく知る方々は、ここまでお読みいただきながら「それアンタがいつもやっていることよ」とお思いになったことでしょう。

とかく気分にムラがあり、話しかけられたくないときに声がかかるとイラッとしてしまうのは、まさに私の得意技。集中しているときに「ちょっといいですか」と尋ねられて、軽やかに「ゴメン、あとでそっちいきますね」と言える人になりたい。

チャレンジしてみるものの、「わざわざ後回しにするほどの話ではないのでは?」なんて考えてしまって、顔に「焦燥感」とか「切羽詰まってる」の文字をべったりと貼り付けながらいざ対峙してみたら、あれまあ全然ちょっとじゃなかったわー、ということも。

ここで、途中で「あ、ごめんなさい!ちょっと込み入った話ですかね?申し訳ないけどあとでそちらに伺うので、もう一度お話聞かせてください!いまどうしてもやってしまいたいことがあって!」と正直に言えた方が、お互いの「ムムム」感は少なくて済むのに、うまく言い出せない。消えたい…。

電話も、敵です。作業がノリにノッてるときに電話が来ると、イラッとしてしまいがち。「折り返します」と伝えたいが、いまもこれからも席にいるわけだし、何様だよって感じかな…なんて思ってせかせかと電話に出てしまう。

ああっ、だめだ!「一瞬の他人の目」を気にして「恒久的なみんなとの関係」をボロボロにしてきた記憶ばかりが蘇る。しかも現在進行形。あああ、救いようがない。

いま職場の人間関係で悩んでいるのは、ただのブーメラン現象なんだ。山の上で「おまえなんてうんこー!」と叫んだら、我が身に返ってきた。そうです私がうんこおばさんです…。

悩む日々の中で、こんな、365日生理前みたいな気分屋の女を苦笑いしながら許してくれるオトナたちに囲まれていたことを悟ったのだった。ありがたい。

「デスク用イエス・ノーまくら」があればいい

こうした「いま話しかけないで問題」はよくあることなのでは?

というのも、かつて勤めていた会社でもそんなことがあり、上司のチェックを経なければ進められないのに、その上司がものすごくお気持ちにムラのある方で、苦労したことを思い出すからだ。

ものすごく席が近いのに、ほぼメールだけでコミュニケーションを取っていたこともあったなあ。若手のくせに、ビビッてイバラの道に突入しない(=罵られようとも声をかける、ということをしない)自己保身体質をお笑いください。

でもこれ、きっと解決できる問題だ。

…そう、「イエス・ノーまくら」があればね。

Miniラブピロー

Miniラブピロー

 

いま話しかけないで!のタイミングがわかりさえすればいいのだもの。そんなときは「NO」を表示し、ウェルカム体制が整っているときは、「YES」。

シュラスコ型でもいいと思う。

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これだとわかりにくい?遠くの席からもわかるようにしたい?そんなあなたに

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絵が下手なのでわかりづらいと思うけれど、蚊帳のつもりです。

その名も「いま、話しかけないでほしいんだ蚊帳(がや)」。ちょっと方言風。これ広げるの、きっと恥ずかしいぞォ!

他人の目を恐れない自分になりたい

なんだかんだで、私が悩む根っこは「イエス・ノー」問題ではなく、他人の目を気にすることにあるんだと思う。冷たくされようとなんだろうと、その対応に怯えてへこむ必要なんてないのだ。

小池百合子を見よ!あんなに憎まれ口をたたかれながらも笑顔じゃないか。今朝のニュースでも「ストレスをストレスと思わないこと」「私はスーパーポジティブ人間です」と軽やかに言ってのけた。たくましい。

人の目に異常に左右されているようじゃ、いい仕事もできまいて。何も成し遂げられやしない。嫌われる勇気。鈍感力。

デスクにこれが置けたらいいんだけどなあ…