言いたいことやまやまです

自意識過剰なアラサーOLの言いたくても言えないこといろいろ(食ネタ多めで)。

Authur:やまま (id:yamama48)
1985年生まれの銀座OLです。揚げ物・おから・喫茶アメリカンが好きです。ぐるなびさんの「みんなのごはん」でたまに記事書かせていただいています。 食に限らず体験レポート系記事作成のお問い合わせは下記アドレス宛にお願いいたします。

「愛されてる」の静かな自信が身を守ってくれる(「輪るピングドラム」鑑賞しました)

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こんばんは、生存戦略の時間です。

最終話はとりわけ映像とBGMがうつくしくて、世界観に没入してしまって、観終えたあとボーとしてしまって大変でした。

エヴァンゲリオンを筆頭に、難解な作品の奥深さを読み解くのは非常に苦手です。作品に触れることは大好きなのですが、フワっとその世界観のなかに漂うまでで思考停止してしまい、著者や監督が込めた想いなどを紐解いたり、見解を述べたりすることができないのです。

それを人は馬鹿と呼ぶかもしれませんし、意図を汲み取ろうとしないなんて作品に対して失礼だという指摘もあるでしょう。

そのうえで、この湧き上がる熱い想いは今日がピークでしょうから、「輪るピングドラム」視聴後のメモを残します。

思い出しながら涙が出そうになるのは「愛してる」「選んでくれてありがとう」ということばです。書きながら今もティッシュを引き抜きました。

記憶力もないので誤りがありそうですが、敢えてうろ覚え状態で思いの丈を書いてみます(こういうときに叩かれたくなくて下調べをしながら書くのが私の常でしたが、「アクセス数ダダ落ち中だからこそできるチャレンジ!」シリーズとして、記憶だけを辿って書いてみます)。

作中には「愛されていない」人物が登場します。親に、兄弟に、家族に、世界に。存在価値を諦めて「透明な存在」になっていく者もいる(こどもブロイラーの表現も斬新で震えました)。

普通の顔をして過ごしているけれど、実は世界に絶望している彼らを救えるのは、富でも名声でもなく「愛してる」ということば、その概念です。それは「親から子へ与えられなければならないもの」のように思ってしまうけれど、血の繋がりというのはさして重要なことではないのですよね。『万引き家族』然りですが、血の繋がりと絆は別物です。

話が飛びますが、私自身は根っこのところで楽観的な性質を持っております。それを「心の深層」と呼ぶのならば、「表層」の部分は悲観的で自意識過剰。相対評価の尺度で物事を捉えます。

たとえば、後ろで笑い声が聞こえたとする。そうすると咄嗟に「私は他人に笑われている」と捉えてしまうのです。スカートがめくれているんじゃないか、髪が変なことになっているんじゃないか、それとも何か変なことを言ってしまったのではないか……他人はそれほど自分のことなど気にしてくれていません。自意識過剰甚だしいのですが、そう捉えてしまうのです。

かといってこれを引きずるかといったらそうではない。なにせ心の根っこは楽観的なので、一晩寝たらきれいサッパリ忘れています。

そしてこの「根っこが楽観的」というのは「愛されてる」という自信の証ではないかと思うのです。

親とべったり仲良しという過ごし方はしていませんが、生まれてこの方、「両親に愛されていない」などと思ったことは一度もありません。一秒もないです、きっと。

あまりにも当たり前で、「ああ、愛されているなあ」と実感することもないのです。この先ずっと「愛している」「大切な存在」なんていう言葉をかけられなくても、間違いなく「私は愛されている」という自信はゆるぎません。

根っこにこれがセットされてしまっているものだから、もはや疑う余地もない。

誤解を招く表現になるかもしれませんし、失礼な表現でもあると思いますが、「鬱になってしまいたい」と思うことがしばしばありました。

なにせ心の表面は悲観的な仕様になっているのです。実際、働いていてしんどいこともありました。夢のなかでも追われるようなことがありました。お付き合いしている人に追い詰められることもありました(きっと私はこの人以外に愛してくれる人などいないと思って渋々付き合っていました)。

そういうもの全部、自分が心の病にかかりさえすれば引き剥がせると思っていたのです。本当に苦しんでいる方がいらっしゃるなか、なんて浅はかで失礼な考え方なんでしょう。でも、当時は真剣にそう思っていたのです。悲壮感漂う顔で心療内科も受診しました。

当然のことなのですが、私は鬱病にはなりませんでした。
そのときはタフな自分、心の根っこが楽観的な自分を憂いたものですが、いま振り返れば「心の病にかかれるはずがない」のです。そしてそれはしあわせなこと。心がタフなのではなく、「愛されている自信」が守ってくれるからです。

またしてもアニメの世界観の引用になりますが、コードギアスでスザクがかけられた「生きろ」のギアス(絶対服従の呪い)みたいなものです(劇場版がいまから楽しみ!)。

婚活に明け暮れ、うまくいかず、「しんどい人と一緒にいなければいけないくらいなら、ずっと独りでいい」と過ごしていましたが、幸いいまはパートナーがおります。彼もまた、両親同様の絶対的な「愛されている自信」を与えてくれるのです。

それなりの時間をいっしょに過ごしているので、籍を入れるの入れないのと周囲から言われることは頻繁にありますが、(現時点で子どもを生みたいという気持ちが私にないので)結婚などしてもしなくても同じです。そんな契約関係を結ばずとも、ずっとかけがえのない絆を紡ぎつづけられる自信があります。

そしてその自信というのも、「私は愛されているんです!大丈夫なんです!」と声を大にして言い張るような性質のものではなく、無言で佇んでいられるような、そういうものなのです。なんの縁もないのに出会えて共に在れるというのは、非常にしあわせなことです。しあわせという4字で片付けるのは、チープな感じがして嫌なくらいです。

選び・選ばれる「婚活」という戦場に身を置いていた者として、これ以上に「選んでくれてありがとう」と思うことはありません。

そういえば、生まれて初めて交際関係に至った日も、地味で真面目なモテない女である私を、赤の他人が大事だ、好きだと言ってくれる奇跡に感動し、感謝し、その日の晩は風呂でひとり泣いたのだったっけ。

結局、輪るピングドラムの話ではなくなってしまいました。でも、鑑賞したからこそ湧き出た想いであることは間違いありません。

ウテナにも震えましたが、ピングドラム、非常によかったです。アニメという表現手法のすばらしさを両作品ともに感じさせてくれます。幾原監督の2019年の新作「さらざんまい」も心より楽しみにしております。

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