言いたいことやまやまです

仕事をやめ、誇りを持って主婦として生きることにした1985年生まれ。金儲け臭ゼロのブログで生きざまを書き綴っています。お金はいつでもほしい。

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テスト60点が「サボった結果」の人もいれば「がんばった結果」の人もいる

assorted tape measures

こんばんは、がんばる時間です。

先日「”がんばる”の基準」について話をする機会がありました。たとえば「部屋の掃除がんばります!」と言いながら取り組み始めたくせに、約束の時間になっても床や棚にまだ物がいろいろ置きっぱなしの状態。それは「がんばった」のか?

日々整頓できている人にしてみれば、「”がんばる”の結果がこれかい」となるでしょう。私はけっこうイライラすると思います。

なぜイライラするのか。

相手ががんばると言っておきながら大してがんばっていないから。サボっているから。まだ汚いから。つまり相手が「悪い」から。

……その場ではそういう気持ちになると思うのですが、たぶんイライラの原因は「自分の基準を、自分とは異なる基準で生きている相手にぶつけていること」にあります。

言葉が通じなくて歯がゆい気持ちになるように、ルールが異なる相手との遭遇で脳みそが混乱しているのだと思います。その結果、(これは性格によるでしょうが)自分を守ろうとして「相手はダメなやつなんだ」となって、イライラする。

しかし事実は、「とてもがんばった結果」かもしれないし、本当に「サボった結果」かもしれない。出来杉くんのテストの点数が60点だったら「おやおや」となりますが、のび太の成績だったら「なかなかがんばった!」となるわけで、人それぞれに「がんばった結果」は異なるのです。

話がぐんと飛びますが、このことを考えている間に「クチャラー」のことを思い出しました。私はとかく、くちゃくちゃ言いながら飯を食らう人が苦手です。苦手すぎて、心の中でつい「清潔感のない人」「礼儀のなっていない人」という評価をつきつけて軽蔑してしまうのですが、それはあくまでも私の基準なのです。

くちゃくちゃ音が気にならない人もいるでしょう。悪いことだという認識はないわけですから、もしその人自身がクチャラーだった場合、改善はかなり厳しいものがあります。そもそも、悪いと思っていないのだから「改”善”」というのも変な話です。

またまた話を変えます。以前、「なんでもドスンドスンと放り投げるように物を置く人は嫌だ」という日記を書いたことがあります。 

yamama48.hatenablog.com

これも、ドスドス置くのを悪いことだと考えているか否かは人によって異なるのです。たとえ注意をしようとも、相手が「ドスドス」をまったく気にしていない人であれば、直すのは困難だと思います。

まとめ

何がよくて何がわるいか、その基準はあまた存在することを忘れないようにしたい。すぐ忘れて、自分の基準を相手に押し付けてしまうのですけれど、深く押し付ける前にハッと我に返れるようでありたい。 

せめて、自分の基準をふりかざして「あの人はいい人、悪い人」とか「あの人はデキる人、使えない人」といった判断をくだすことはやめていきたいのです。脊髄反射的に思ってしまうこともあるけれど、ぐっと思いとどまりたい。そもそも、判断を下せるほど自分はデキた存在なのか?

判断をするならば「優劣」ではなく「相性」という切り口で考えていきたいものです。自分と似たモノサシを持っている人なのかどうか。婚活も、就活も、友達づきあいも、ビジネスも、「相性」という視点で考えていきたいのです。「嫌われた」「使えないと思われた」ではなく、「相性が悪かったんだ」と思えれば、ずるずる引きずらないで済む気がします。