言いたいことやまやまです

仕事をやめ、誇りを持って主婦として生きることにした1985年生まれ。金儲け臭ゼロのブログで生きざまを書き綴っています。お金はいつでもほしい。

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物をドスドス置くハラスメント ~デスクに物を投げないで~

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こんばんは、書きなぐりの時間です。

日本はもちろん、世界中がハラスメントまみれになっています。そんな流れで「ドスハラ」というのを思いつきました。某PC通販店のご迷惑になりそうな名称なので近々に再検討が必要ですが、正式名称は「ものをドスドス置くハラスメント」です。

とにかく物を「置く」ということが下手な彼らのことです。なぜputできないのか、なぜthrowしてしまうのか。ボウリングをやったら絶対ロフトボール(レーンにドスッとボールを落とす投げ方)するに違いない。ここで一句「許すまじ レーンは痛いと 泣いている」。

私はこんなたくましい昼ごはんで満足するくらいには心が頑丈ですが、こと、この「ドスドス」には弱いのです。怒られているわけでもいじめられているわけでもないのに、ひどく恐怖感を覚えます。

まことに、なぜ投げるのでしょうか。遠くにあるゴミ箱に鼻紙を捨てに行くのが面倒くさくて投げるのはわかります。しかしなぜ至近距離にあるデスクに、ファイルやら書類を投げるのか。いっそ落ちてしまえ、恥をかきやがれ、と思いますがなにしろ至近距離ですから落ちるなどという可能性は万にひとつくらいです。ボウリングレーンが泣くように、デスクだって書類だって泣いています。なんの利便性や合理性を求めて投げるのか?私にはいきがっているようにしか見えません。その行動によって解決できることがなにもないからです。

電話のガチャ切りにも、同様のことを思います。うっかり手が滑ってガチャンとなってしまうこともありましょうが、それもまた百にひとつくらいの可能性です。常に毛穴という毛穴から脂が垂れ流され続けていて手のひらが油まみれならわかりますが、きっと違うでしょう。

このように、私は彼らを見下している節があります。なのにその音に、醸し出す雰囲気に、悔しいながらも恐怖を抱いてしまうのです。背筋がビクッとするあの感覚、怒鳴られたときのドキッとした感じと似ています。どうして怯えなければならないんだ!

そういえば、昔家族でファミレス(忘れもしません、夢庵でした)に行ったことがありました。アルバイトのお姉さんが食器をドスドス置く様子に父が苛立ち、もっと優しく置いてと言っても直らず、激怒して店長さんを呼び出してしまったことがあります。

父以外の家族メンバーは帰りたい気持ちでいっぱいでしたが、あの日のおかげで「ドスドス置いてはならない」ということを学んだのかもしれません。それにしても、他人のふりをしていたかったなあ。

ドスドス、反対。

ドスとは脅すという言葉から来ているという説があります。小型の刀のこともドスと呼びますし、脅すような声を「ドスのきいた声」などと言います。ドスは快適な表現ではないのです。

ドスハラ以外のネーミングについて、早急に考えたいところです。

私が「ものをドスドス置くべきではない」という「べきねば菌」に毒されているだけかもしれない、という可能性も探りました。彼らに対する「苛立ち」が心を占めているのであれば、べきねば菌の影響であることが否定できない。なぜならその苛立ちは「世の中的にそれはやっちゃだめということになっているから、私は我慢してやっていないのに!」と翻訳できるからです。されど、私が抱えていたのは恐怖心でした。だからたぶん、べきねば菌に由来するものではない。

でも彼らは悪気があってやっているわけではありません。だから厄介です。注意しようにも、していいのかがわからない。そもそも悪事でもないし(ボウリングのロフトボールはだめです)。どうしたらいいんでしょう。愉快に締めくくりたかったのに、終わりかたがわからなくなってしまいました。とりあえず一言、たいへん好ましく思っているタレントさんのお言葉を借りておきます。

はい、オッパッピー。

 

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実はブログのアクセスがこのところ落ちているのです。しょげています。それで慌ててシズラー(サラダバーが楽しめる最高にイケてるロイホ系列のレストランです)のレポを書いたり、喫茶アメリカン概論を大幅アップデートしたりとがんばったのですが、なしのつぶてです。

サラダバーといえば「シズラー」!都内中心に9店舗のみ、クルトン入れ放題のコーンスープがうまい

「喫茶アメリカン」概論 ~東銀座の伝説のサンドイッチ店!毎月訪問する雑記ブロガー・やままによる初心者必見ガイド~

でもそうやって、慌ててあくせくすることがダメなのですよね、きっと。結局また相対評価で考えているからこうなるのです。あの人はあんなに伸びているのに、私ときたら……といった具合です。ダメだろうと良かろうと自分に自信を持つ。受け入れる。俺は俺であってあいつではない。その点を受け入れる。相対評価のメガネをポイと捨ててしまいたいのですが、眼鏡は顔の一部ですと表現されるように、なかなかどうして剥がれないのです。でもそう言っていたら始まらない。剥がれんが、剥がしてしまえ、相対評価。