こんばんは、食レポライターにはなれない時間です。
ブログで毎日のように食べ物のことを書いていますが、「グルメな人」と思われるのは違和感があります(みなさん、そうは思っていないでしょうけれど)。
最近あらためて、「つくづく私っておいしいものがわかっていないな」と感じております。
「おいしい」は二の次
私がグルメを自称できないのは、「舌が貧しいから」です。
「芸能人格付けチェック」を観ていると、芸能人でもないのに「私が出演したら、五流芸能人の座に君臨し続けるだろうな」と妄想してしまいます。ワインの飲み比べ等々、わかる気がしません。
日本酒を飲み比べる会に参加させていただくことがしばしばありますが、「その瞬間の自分にとって、好ましい味か否か」でしか判断できません。
ワインでよく見かける「味の表現」など、さっぱり認識できないのです。
まるでチョコレートのような……
オーク樽で熟成した香りが……
スパイシーで官能的な風味が……
………
ウルセー!!!(泣)
先日ものすごくおいしいと評判のお店に行きました。やはりおいしかった。しかしそれが「どのくらいおいしいのか」がわからないのです。私の「おいしいメーター」はかなりバカになっていて、沸点がずいぶん低い。
その「いいお店」の翌日、肉のハナマサに行って半額になっていた「イカの軟骨の明太マヨネーズ和え」をいただきましたが、たぶん同じくらいの熱量で「うめー!」と思っていました。
両者にかかっている原価、手間、雲泥の差であるのはわかるのですが、口のなかに入るとこんなありさまです。
大事なのは「好き」かどうか
たいがいのものは、うまい。
それでも
「思わずブログで熱く語ってしまうウマイモノ」と、
「その場で”ごちそうさま”と念じて終わってしまうウマイモノ」
に分かれます。
その差は「世間での評価はさておき、私自身が好ましく思っているか否か」です。
振り返ってみると、「ちょっと微笑めるようなおもしろい個性があるかどうか」な気がします。またの名を「ツッコミどころがある」。
そりゃあ、名店の数々にはおもしろい歴史やこだわりがあることでしょう。でも全体がスマートすぎてしまうと、ツッコミようがないのです。
いっぽうで、語りたくなる名店もあります。たとえば「代々木今半」さん 。言わずと知れた名店で、レポート記事も妙にしっとり書いてしまったのですが(私は松浦弥太郎さんになりたかった)、実際のところは「店主さんのお料理紹介の口上がすごすぎる」ことや、アットホームな雰囲気の仰々しくない店内に惹かれました。
極厚サンドイッチの「アメリカン」は最たるもので、個性まみれの店内でいただくおいしいサンドイッチだからこそ、そのことについて語りたくなってしまう。
「誰と一緒に過ごせるか」も大事
ひとり呑み(無職の現在は控えていますが)も好きです。
しかし伺うのは、店主さんがおもしろかったり、常連さんと話せるお店だったり、テレビがあるお店だったりで、ひとり黙々と「ウマイモノ」と対峙するのは趣味ではないのです。
たとえワタミさんのようなチェーン店であっても、お供させていただく方々とたのしい時間が過ごせるならばごちそうです。
おいしさの沸点が低い以上、食事の時間を「とっておきのひととき」にできるか否かは「どんな空間で過ごすことができる時間なのか」に懸かっています。
家にひとりでいるのであれば、きゅうりを洗ってかじるくらいで十分です。
ここで先日のひとりメシをご覧ください。
「ニョッキ」をもらったので茹でました。ソースとか面倒くさいですから、パルメザンチーズと塩を混ぜて、それをつけながら食べました。おいしかったです。これで十分なんです、本来は。
「グルメライター」はできません
めでたく開業届を出し、ハローワークにもその旨を伝えてきました。
つまり、個人事業主になってしまいました。
生き抜くためにはどんどん仕事をしていかねばなりません。(レベルはさておき)すぐにできる仕事といえば、ライター業でしょう。ブログでの実績からして、グルメライターを志すのかと尋ねられることがありますが、断じて否とお答えいたします。
もちろん上記の私の性質をご理解いただいた上で、でしたら「はい!よろこんで」ですが、一般的なグルメメディアが求める食レポ記事はとうてい書けそうにありません。
美食家と名乗れず、B級グルメ好きとも名乗れず、仕事探しに苦戦しそうだなあ。グルメ以外でがんばります。