こんばんは、トイレ行っていい?の時間です。
「トイレ行っていい?」
そう尋ねられたら、あなたはどう答えますか。
私はこれまで、口ではイイヨと言いつつも心のなかでは
「ダメって言ったらどうするんだろうか」
と思っていました。ときにはそのまま言っていました。このシチュエーションにおけるスマートな言葉は「トイレ行ってくるね」という宣言形の言葉だったのです。
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「トイレ行ってきていい?」
疑問形ではありますが、その意味は「宣言」です。言葉通りに「トイレに行って良いか否か」を尋ねているのではない。そういうことがほとんどでしょう。察しようとせずとも、わかります。
大事な原稿の文字校正ならともかく、知人とのちょっとしたやりとりでイチイチ「ダメって言ったらどうするの」なんて突っかかるのは、どうかなあ……と、いまは思います。
こんな小さなことで心を毛羽立たせて、ときには相手の心にもトゲを刺し、それで得られるものって一体なんなのでしょう。気になると言いたくなる。我慢すると悶々とする。
そんなストレスをためるより、自分のなかでサラッと流してしまう(トイレだけに)のがいちばんだと思います。イラつくと身体が酸化して老けます。
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最近、「行っちゃダメって言ったらどうするの」と言われる側の立場になる機会がありました。トイレ問答ではないのですが、シチュエーションが似ていたのです。
私が何の気なしに言ったことが、相手にとっては「そんなことわざわざ言う?」と思えることだった。
私「●●に持って行っておきますね!」
相手「え、●●以外のどこに持っていけるんですか?」
といった具合です。
相手にいじわるな気持ちはなかった(と信じたい)。ピュアな気持ちが口から出てきてしまっただけだと思うのです。純粋に不思議だったのでしょう。
でも私は、不思議と、なぜか、結構傷つきました。バカにされたような悲しい気持ちがしたし、考えなしに気軽に発言した自分の頭の悪さが嫌になりました。情けないなあ、バカだなあ……と落ち込みました。「ちびまる子ちゃん」の山田くんやはまじのようなキャラなら、「アッハッハ、確かにそうだ」と笑い飛ばせたかもしれませんが、私はみどりちゃんのような女なのです(友蔵の老人会の友人のお孫さんだったかなんかで、ネガティブで面倒くさい子です)。
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日本語で物を考え、しゃべるもの同士でも、言葉が伝わらないことがある。
そう思いました。「トイレ行っていい?」というのはあくまで例えばの問答ですが、この言葉の感覚が等しいもの同士、ないしはその感覚を理解できるものと交流している時間というのが、「過ごしやすい、ラクな時間」なのではないかなと思います。言葉が通じるから。
私の無知や考え不足によって「同じ日本語を使っている者同士なのに、言葉が伝わらない」シチュエーションに陥って、「はしごを外された感覚」とでもいいましょうか、突き放される感覚を抱いたのです。だめな自分を責めたし、反省もしたし、寂しくなりました。この感じは忘れないようにしたいなと思います。ちょっとしたことで、相手をこういう気持ちにさせるのは好ましくない。
トゲトゲした感覚はどんどん削ぎ落としていきたいものです。「トイレ行っていい?」の問いごときでイライラしたくない。老けたくないし、ともに過ごしていて楽しいという人が増えたらうれしい。きっとそれはよい仕事のチャンスにも繋がってくる。すなわちいろいろハッピーな気がするので、私の場合、加齢とともに削げている気がする。老けたくはないが、歳をとるのはいいもんです。
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