言いたいことやまやまです

仕事をやめ、誇りを持って主婦として生きることにした1985年生まれ。金儲け臭ゼロのブログで生きざまを書き綴っています。お金はいつでもほしい。

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自分に「OK」を出す年に

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こんばんは、うらみ・つらみ・ねたみ・そねみ・ひがみの時間です。今日はいつも以上に話が整理されていません。すみません。

年末にTBSラジオで放送された「ニュース年録2018~分断、その先にあるもの~」をぼんやり聴いていました。

・トランプ政権誕生以降深刻化する、アメリカ国内、そしてアメリカと世界の分断。
・アメリカ軍基地などをめぐる、本土と沖縄、そして沖縄の中の分断。
・「LGBTは生産性がない」新潮45に杉田水脈議員が寄稿した文章から考える分断。

この3つのテーマについて現状を語るだけでなく、分断の「出口」つまり解決策を探ります。

 という内容で、ラジオクラウドアプリでDL聴取もできますし、下記URLにアクセスすればストリーミングで聞くことができます。

【音声配信開始!】「ニュース年録2018~分断、その先にあるもの~」【ラジオクラウド限定ロングバージョン】

 

世界を分断する「ずるい」

トランプさんとその取り巻き一派、LGBT支援の度が過ぎると考えている杉田議員とそこに同調する人たちの話を聴いていて、ふとさくら先生のエッセイの一節を思い出したのでした。マンガでも強烈なインパクトを残した「洪水」のエピソードです。

天候が落ち着いてから学校に行ってみたら、校内が水浸し。片方だけの上履きがあったり、絵の具が水に流されていたりするなか、さくら先生の絵の具は汚れていたものの使える状態でした。一方で、絵の具が使い物にならなくなってしまった子も。彼らに新品の絵の具が支給される姿を見て、小学生のさくら先生は「ずるい」と思ったのだと書かれていました。記憶をたよりに書いているので厳密には合っていないかもしれませんが、そんな話です。

この「ずるい」の気持ちが、前述の分断問題を生み出す原動力になっているよなあ……と思いました。「マイノリティばかりもてはやされて、ずるい」

エッセイには、「周りの環境が見えなくなって、”新品の絵の具のあの子”と”汚い絵の具の私”だけにスポットがあたってしまった」ようなことも書かれていたと記憶しています。そのシチュエーションに思い当たるところがありすぎて、とても共感して、いまだに覚えているエピソードです。

自分に満足できていれば「ずるい」は防げる

なぜ「ずるい」と思ってしまうのか。

前述の絵の具で言えば、手元にあるものはそれなりに汚れていて、「私の絵の具だって洪水のせいでこんなふうになっちゃったのに!」という不満がある。それは「ずるい」という気持ちに進化(退化?)してしまいます。

俺だって、私だって、嫌なことも一生懸命がんばっているのに、全然労われない。なのにマイノリティだからというだけであんなにもてはやされて、ずるい。(彼らがどれだけ苦労しているか、には想いを馳せない)

妬みのパワーは強い。ただ単に「嫌い」なら避ければいいだけですが、妬みというのは避けても逃げても追いかけてくる感情です。相手はなにも攻撃などしていないのですが、当人たちには「一矢報いてやる」という想いがある。

では、どうしたらこの恐ろしい「ずるい」感情を抑えられるのか。

絵の具のシチュエーションをもう一度思い浮かべます。自分のものがかなりきれいな状態だったり、買ってもらったばかりであったり、中身があまり減っていない状態だったり……すなわち「そこそこ自分の絵の具に満足できている状態」であれば、強烈な「ずるい感情」は防げるのではないでしょうか。

妬みを防ぐ方法は「自分への満足感」ではないかと思ったのです。

自分に満足できていないまま2018年も終わってしまった

いかにして自分に満足するか、というのは難しい問題です。

まさにいま、私は自分に不満しかありません。33歳にもなって、「プロ」と呼ばれるような仕事ができていない自分。何の専門家にもなれていない自分。社会に(浪費という方法以外で)貢献できていない自分。

「情熱大陸」「プロフェッショナル」「各種の成功談をもとにした自己啓発本」、このあたりは天敵です。観ていると自分のだめな仕事ぶりや日々の態度を棚に上げ「この人が羨ましい」という気持ちにまでなってしまうからです。一方で、「自分がプロになれず、社会に貢献できないのは努力が足りないからだ」と自責する私もいるのです。「ただ恩恵を享受するだけ」の受け身な国民でいることに焦燥感を覚える。30代になってからというもの、この不安と日々を過ごしている気がします。

何者かにならなければ。毎日不安と焦りでいっぱいです。でも、何もできていないまま33歳の1年が終わろうとしている。

「誰かのために」なんて100年早い

この年末年始をゆったり過ごしながら、自分が抱えている焦燥感を一歩引いた目で見つめることができました。湧いてきた想いは

「なんでそんな変なところで焦ってんの?」

です。小学生なのに「私はこのままじゃ、あの会社に入れない!」と焦っている感じとでも言うのでしょうか……。なんだか、いろいろ見当違いだなと。

「誰かのために役に立っている仕事をしている」という実績があれば、自分の存在意義を見いだせると思っている節がある。でもたぶん、その考え方だと一生「喜ばれる仕事」なんてできません。結局は相手のことを想っていないからです。

「相手のことを想う」というのは、”想おう”としてできるものではない。「自然とそうなっちゃうもの」なんじゃないか。想おうとする、というのは我慢行為です。想っていないのにそうしようと負荷をかけているんだもの。それはまた「こんなにがんばっているのに、認めてもらえない。なのにあの人は……ずるい」という感情に育ってしまいます。

話がまとまらなくなってしまいました。熱い想いはあるのですが。

とにかく、2019年は「自分にOKを出す1年」にしたいのです。いまの状態で「誰かにために役立つことを」なんて言うのは100年早い。おこがましい。

まずはありのままの自分にOKを出す。「嫌々ではなく、率先してがんばれるもの」を見つける。いい歳して申し訳ないけど、生産性ないけど、自分のための1年にします。

自分に満足ができたら、妬みもなくなる。好きでやっていることだから、誰かのためになるとうれしくて、より良くするにはどうしたらいいかを考えるようになる。

100年後だとあまりに遅いので、すこしでも早く「役立つ仕事をする人」になれるよう、まずは自分を受け入れることに努めます。

今週のお題「2019年の抱負」