言いたいことやまやまです

自意識過剰なアラサーOLの言いたくても言えないこといろいろ(食ネタ多めで)。

Authur:やまま (id:yamama48)
1985年生まれの銀座OLです。揚げ物・おから・喫茶アメリカンが好きです。ぐるなびさんの「みんなのごはん」でたまに記事書かせていただいています。 食に限らず体験レポート系記事作成のお問い合わせは下記アドレス宛にお願いいたします。

たかのてるこさんの旅行記『ダライ・ラマに恋して』は自意識過剰な女史に読んでほしい!

ダライ・ラマに恋して (幻冬舎文庫)

こんばんは、仏教の時間です。

読者さんから、たかのてるこさんのエッセイを薦めていただき、『ダライ・ラマに恋して』を読んでみました。

自意識過剰な方々にぜひ一読いただきたい。少なくとも私は、心が洗われました。

失恋に絶望していたたかのさんが、たまたま遭遇した「ダライ・ラマの笑顔」。その笑顔と教えに惹かれたたかのさんの、「ダライ・ラマに会う」ことを目的にしたチベット&インド旅行記です。

チベット仏教の教えとはなにか

たかのさんが旅先で出会った人々との会話を通じて、日常の風景からチベット仏教のなんたるかを垣間見ることができます。

後半の重要人物である、教師をしているカルマという青年が語る「仏教のイメージ」がおもしろい。

「仏教では、神は万能な存在ではないんだ。ブッダは『どう生きるか』という道を示してくれるだけで、何もしてくれないんだよ。

僕は仏教徒だけど、仏教は宗教ではなく、“自然科学” だと思ってるぐらいだ」

そんな彼は、「ブッダの教えで大事なことは2つ」だと言います。

ひとつが「cause&effect(原因と結果)」(=カルマ)
もうひとつは「すべては impermanent(永続しない)」ということ。

悪いことには原因がある。そのひとつは「執着心」かもしれない

 たかのさんの旅のきっかけともなっている、大失恋。教師のカルマ青年の「原因と結果」「全ては永続しない」という話とたかのさんのやり取りが、チベット仏教の教えをわかりやすいものにしてくれています。

「恋愛だってなんだって、自分の身に起きたことの原因は自分自身にもあるんだ。きみがこれまで考えてきたことが、きみを今の環境に導いてきたんだよ。環境が人を作るんじゃないんだ。環境は僕たちに、僕たちがどういう人間なのかを教えてくれているだけなんだよ。

(中略)執着すればするほど、幸せは遠ざかっていくんだ。ただ愛せばいいんだよ、執着せずに

「すべては永続しない」から、恋人をつなぎとめようと必死に束縛しても意味がないのです。

親子関係にもよくあることですが、束縛しようなどという気はなくとも、相手を想って「今日はどこに行くの」「何時に帰るの」「ちゃんと部屋を片付けないと」「あまりお金を使いすぎてはダメ」「もっと野菜も食べて」などなどと提言していると、それは相手にとって重荷になります。執着されていると感じてしまう。

恋愛関係・親子関係に限らず、自分と仕事の関係だったり、自分と大事な持ち物の関係においても、「執着心」は煩わしいものです。

たとえば、突然リストラされたら。もちろん辛い、悲しい、消えたくなることでしょう。でもそれで本当に消えてしまう必要はあるのでしょうか。仕事だけに執着していたから他の道が見えていないだけで、生きる術はいくらだってあるのです。大事なコレクションが家事で全焼してしまっても、大事なものはそれら「だけ」ではないということがわかっていれば、生きていけます。

じゃあ、仕事でもコレクションでもなんでも、大事にしすぎないほうがいいってこと?

この塩梅が難しかったのですが、たかのさんの下記の言葉で腑に落ちました。

「恋愛だけでなく、親子の関係でも、執着はよくないものだね。今考えてみると、自分が親にしてもらって一番嬉しかったことは、執着されないで、ただ愛してもらったことだったよ

(中略)

なんでも永遠に続くと思っていると、関係がダレて、あぐらをかくことになる。

よく『釣った魚にエサはやらない』なんて言うけど、相手のことを「自分のモノ」だと思い込んで大事にしなくなるから、熟年離婚とかになっちゃうんだよな。

関係性は常に変わっているのだということを、私は痛いほど思い知らされた気分だった。

 幸せになりたいなら、世界を幸せにする

人々の生活にはチベット仏教の教え、そしてお祈りが自然に溶け込んでいます。たかのさんが人々に「何を祈ったのか」と尋ねると、みんなが口を揃えて「生きとし生けるものすべての幸せ」「世界平和」などと、さも当然といった顔ぶりで答えるのです。

絵馬に書かれた「絶対合格」を彼らが見たら、びっくりするに違いありません。

全ては「cause&effect(原因と結果)」に基づいて起こっているのです。幸せになりたいなら、いいことをしなければならない。自分の行いが自分に返ってくるのです。

といっても、「いいこと」とは大それたことでなくてよく、「いつも笑顔で気持ちよく挨拶する」などでよい。その行為が周囲を幸せにしているか?という観点で考えるのがポイントのようです。

「世界が平和になれば、きみも自動的に幸せになるよ。どうして自分ひとりだけ、幸せになろうとするんだい? きみと世界中の人の幸せは繋がっているんだよ」

というカルマの言葉にシビれる。かの「世界人類が平和でありますように」という言葉は伊達じゃないのです。

「幸せな人生」とはなにか

最終的に、たかのさんはダライ・ラマ14世に20分間の面会の時間をもらうことになります。そこでいくつかの質問をされるのですが、その問答と最後のたかのさんの締めくくりを読んでいるうちに、「自分は幸せな人生を歩めているか?」を気持ちよく自問することができました。

ダライ・ラマは、人間にとっていちばん大切なものはなにか、という問いに対し、「幸せな人生」だと答えています。幸せから遠ざけるものとして挙げていたのが「不要な苦しみ」でした。病や老いといった不可避なものではなく、いわゆる「心のストレス」です。心を落ち着かせて論理的に考えれば、不要な悩み、苦しみを避けることができると。でもなにより辛いのは、そうやって対処すればいいとわかっているのに、それでもなお落ち込んだり悩んだりしてしまうことだともおっしゃっていました。こればかりは己との永遠の戦いなのですね……。

この話を具体的にまとめてくださっている、たかのさんの締めくくりの文章がとても好きです。悩んだときに読み返すのではないかと思う。

私にもいつか、この世にサヨナラを告げる日が来る。それは、いいことでも悪いことでもなく、事実だ。

でも、その日が来るまで、「病気になったらどうしよう」とか「リストラされて仕事がなくなったらどうしよう」とか、「せっかく付き合ったのに別れが来たらどうしよう」なんてことを考えたり悩んだりしたところで、いったいなんになるだろう。

ゴールが見えない不安さを嘆くよりは、プロセスそのものを楽しんだ方がいいに決まってる。

先の分からない未来を思い悩むより、自分の生きたい未来を心に思い描き、今日を、明日を、楽しく生きたい。

何もかも変わっていくのだから、いつも今やりたいことを存分にやって、今大事にしたい人を腹の底から大事にしたい。

私に、世の中の役に立つことがあるなら、なんだってしたい。そして、どんなときもやっぱり、ささやかな夢や希望を持っていたい。

なにかと悩みがちな性分なので、カウンセラーさんのもとで相談することもしばしばなのですが、そこでもやはり「今を生きろ」というアドバイスをもらいます。

家にいるのに会社のことを想って憂鬱になるとか、まだ起こってもいない来週のイベントのことで不安になるとか、 もう言ってしまったことをいつまでも悔いるとか、それでは「今」がもったいないのです。

いかに「楽しい今」を積み重ねているかが「楽しい毎日」、ひいては「幸せな人生」に繋がります。

それでも悩みは尽きないもの。でも、上記のことがわかっているだけで、少しは「引きずらない」ようになるんじゃないかと思います。

書籍の素敵な部分ばかり抜粋しましたが、全体的に明るいトーンながらもやはりチベット自治区の辛い現状も記されており、自分がいかに世間知らずかも思い知らされました。海外事情や旅行に興味が無いので、こうした旅行記を手にとることはありませんでしたが、読んで本当によかったです。薦めてくださってありがとうございました!