言いたいことやまやまです

2022年2月に出産した1985年生まれの主婦です。資料作成が好き。

育児日誌ブログ「母になっても言いたいことやまやまです」を毎週月曜日に更新中!

落ち込んでいるときも、「ブログ毎日更新」。ルールは「ラストをちょっと前向きに」

こんばんは、毎日更新の時間です。

とても元気なのですが、出社した途端にパアになります。誰かにいじめられているならまだしも、自家発電で落ち込み、マイナス思考になり、悲劇のヒロインぶったオーラを発するので、被害者は私ではなく社員の皆さんであることは、冒頭に申し上げておきます。改めて、申し訳なく思っています。

こういう状態に至らしめないのが、大人であると教わってきました。

大人なんだから、社会人なんだから、つまらなそうな顔をしていてはダメ。周囲に気を遣わせるような人間ではダメ。

母はしっかりと教えてくれました。私が不幸になるのを防ぐために、きちんと伝えてくれました。ずっとずっと言われ続けて、しかし齢33になっても、その教えに沿って生きられないのです。

他人に迷惑をかけるばかりでなく、親不孝者であるとも思います。恥の多い人生、私は彼のような立派な文豪でもなんでもない、ただの小市民だけれど、その言葉にはひどく共感します。

そんな日でも、「ブログ毎日更新」だけはまっとうしようとしている自分がいます。「意地」なんて、物々しいものではありません。

こんな記事はだれも望んでいないし、なんの情報でもないと理解しています。しかしこんな内容であっても、毎日更新を貫かずにはいられないのです。

こういう日は、受け身でいたい。

アニメをひたすら視聴するとか、オーディオブックを聴き続けるとか、していたいのです。インターネットの検索ですら、億劫です。それなのに「食べること」だけは(いつもの2倍は)能動的に遂行するのだから、たまったものではありません。

仕事も、せめて自宅や外のカフェでしていたい。コミュニケーションをとるのが苦痛です。なら休めばいいじゃないか、となるのですが、今月はタイ旅行で有休を3日も使ってしまいました。それでもなお、使えばいいじゃないかとお思いでしょう。でも(誤った)日本人イズムゆえ、「サボりすぎ」「ラクそうでいいよね」などと思われることに怯えて申し出ることができません。

2018年の現在ですらこうなのだから、親が働いていた頃はどうだったのだろうか。24時間戦えますかの姿勢が美しく、正しいものであった時代です。いくら寿退社が自然な流れであったとしても、働く女性たちはどのように「気持ちの浮き沈み」と仕事を両立していったのでしょう。

「たすくま」でログをつけてみる。落ち込んだときの復活方法を模索するために、記録をつける。チャレンジするのですが、いまだに「こうするとうまくいく」が見つけられないのです。「かもしれない」レベルですら、見つからない。

アミノバイタルを飲んでも、婦人科で「おまもり」代わりに出してもらった抗うつ剤を飲んでも、思う存分腹いっぱい食事をしても、お酒を飲んでも、買い物をしても、カラオケに行っても、だめです。

結局いつもきっかけがわからぬまま、「あれ、ちょっと元気になっている」と気づくのです。1日で復活するなら「たまのことだから」で済むけれど、1週間も続いちゃ笑っていられません。

yamama48.hatenablog.com

 タイに想いを馳せる。

でもここは日本であり、タイではないのです。ここ日本で他人の目を気にしている限りは、「憂鬱時期もひっくるめた自分」を受け入れることはできません。

他人の目を気にしないためには、どうすればいいか?

こんなアドバイスをもらいました。「いろんな視点があることを知ること」。

そうすれば、ある一方からは否定されることがわかっていても、他方では否定なんかされないということがわかる。それは自信です。全員に否定されることなんてないんだという自信です。

いろんな視点を養うためには、やはり本を読んだり映画を観たり、いろいろな世界にふれるのが有効であるように、私は感じました。

Twitterでたかのてるこさんの著書をご紹介いただきました。さっそく、購入。

ダライ・ラマに恋して (幻冬舎文庫)

ダライ・ラマに恋して (幻冬舎文庫)

 

チベットあたりの視点を養ってみたいと思います。私は一生日本語しか喋れないかもしれないけれど、考え方は、日本島にとどまらないものにしていきたい。憂鬱ババアの自分もひっくるめて、自分を受け入れられるようになりたい。

この記事、書き始めたときは涙ぐんでいました。誰にも会いたくないという気分でした。でも、とりあえず書き始めました。

「記事のラストをちょっと前向きにする」のをルールにしているから、どういう方向で前向きにするかを考えながら、自己対話をするようにノンストップで書いてきました。そうしたら、書き始めたときには思いつきもしなかったことをいろいろ思い出して、なんだかんだ、書き始めたときより少し元気になっている自分がいます。

他人には役に立たない記事であっても、自分のためには有益であったと思います。そして、ブログなんてそんなもんでいいと思う。