言いたいことやまやまです

仕事をやめ、誇りを持って主婦として生きることにした1985年生まれ。金儲け臭ゼロのブログで生きざまを書き綴っています。お金はいつでもほしい。

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「知ったかぶり武装」を卒業!これからは「丸腰コミュニケーション」

 

先日、ほとんど内容を知らないにかかわらず、スター・ウォーズ展に行った。

 

yamama48.hatenablog.com

 

 

会場にはたくさんのファンが集まっており、彼らが熱く語り合う様子はほほえましく、そして羨ましかった。

 

「好き」なものがある人たちが集まり、目をキラキラさせて、ときに早口で話す姿に、ずっと憧れの気持ちを抱いてきた。

 

巨人ファン、サッカーサポーター、プロレス好き、落語マニア、ジャニーズのおっかけ、アニメオタク、鉄ちゃん。対象は何でもよいのだ。

「好き」の気持ちをふりまく姿が、どうもかっこよく見えてしまう。

 

ファン以外にはわからない固有名詞が飛び交い、会話が成立しているさま。

コンテンツに紐づくキーワードひとつで、人と人との距離が近づく共鳴ぶり。

 

そんな独自の空気感が羨ましくて、仲間に入れてほしくて、いろいろなものを好きになろうと足掻いていた。いや、現在進行形だ。

「スター・ウォーズ」を観ようと思ったのも、企画展に行くことにしたのも、理由はそこにある。

ちょうど、エピソード7公開前だし。

 

 

■「好き」になるために躍起になっていた

 

バイトのおかげで少し懐具合に余裕があった高校生のころは、特にがむしゃらに足掻いていた。

 

周囲にいた子たちの影響で、ヴィジュアル系バンドが好きな女の子、「バンギャ」に憧れてしまったのだ。


バンド名も、メンバーの名前も、そして彼らの愛称も、曲名も、そのすべてが専門用語のような世界。

 

憧れの気持ちから友人にCDを貸してもらい、そこから芋づる式で、いろいろなことを教えてもらった。

このバンドのファンのことを何と呼び(LUNA SEAファンをSLAVEと呼ぶように、各バンドファンに呼び名がある)、この曲のここでこういう振りがあり、メンバーをライブ中に呼ぶときは「○○さまァ~」と声を出すだとか、なんとか。

知ることすべてが新鮮で、覚えるたびに強くなっている気がした。

 

ライブやインストアイベントに通い、黒くてジャラジャラした格好を研究し、家で「ヘドバン」を練習。

翌日は首を傾けると、ひどく痛かった。

 

努力(?)の甲斐あり、晴れて、友人を中心としたバンドファンの輪に入れてもらうことに成功。

休みの日にダラダラとマクドナルドで語り合い、カラオケに行ったあの日々。

恋愛話には無縁なJKだったが、好きなバンドの話をしていると、それに匹敵するほど、あっという間に時間が経っていくのだ。

むしろ、恋愛話にかまける同世代の少女たちを見下していた節がある。

特殊なキーワードで繋がっている世界(とカッコよく書いたけれど、ただのバンドの追っかけ)のなかにいることで、選民意識にも似た何かが芽生え、それが気持ちよかった。


(当時から恋愛に目覚めていたらもっとイケてる三十路女になっていたんだろうか・・・ウーン)

 

私の付け焼刃的な知識では太刀打ちできないことが多々あったが、それでも、わからない、知らないと素直に言えなくて、知ったかぶりをかまし、家に帰るやいなや調べて覚える、そんなことばかりだった。

 

間違いなく一生懸命だったし、のめりこんでいたけれど、本当に「好き」だったかと問われれば、首を縦に振りづらい。

その時は自覚していなかったが、すべての原動力は「ファン同士のつながり」への憧れの気持ちだったのだ。

 

ゆえに、追っかけ活動に疲れてしまうのも早かった。

失礼な話だが、最新情報をWEBや雑誌でチェックすることが面倒くさくなっていき、ライブに行ってアンコールタイムになると「うう、まだ続くんかい」と思った。

当然、そのコミュニティからはフェードアウトである。

なんだったんだ、我が青春。

 

 

■「興味あり」どまりの自分を受け入れる

 

数年前、よく聞いていたラジオ番組で「ちょっとやそっと興味を持ったくらいで好きと言うな」という話題になったことがある。

落語が好きなパーソナリティの方はこう話していたと記憶している。

 

「落語が好きだ、という女性と知り合った。

それならば、ということで色々な話題をふってみるものの、どうも反応が鈍い。

聞いてみれば、1度寄席に行ったことがあるというそれだけのことだった。

それを、好きとは言わない。“興味がある”の間違いだ!」

 

極端な意見かもしれない。でも、ひどく共感した。

 

上で挙げたのはバンドの追っかけの思い出だけだが、ほかにも、アニメ、漫画、特撮、麻雀、仏教、落語、アート・・・いろんなものを食い散らかしてきた。

ラジオを聞くまで、私はいろんなものが「好き」だと思っていたのだが、なるほど、「興味がある」だったのだな、と。

 

各ジャンルのファンの方々はきっと、私をコミュニティに迎え入れてくれたものの、その「愛の薄さ」に気づいていたに違いない。

ファン用語で立派に武装し、会話しているつもりだったけれど、裸の王様同然だったんだろうな。

思い返すと恥ずかしくなる。

 

 

なぜこれほどまでに「好き」同士がつながっているさまに憧れてしまうんだろう。劣等感を抱いてしまうんだろう。

いろいろ考えていたけれど、人とのコミュニケーションが不得手であること、その自信の無さの裏返しなのかな、という思いに至った。

 

丸腰の自分で、どうやって人と関わればよいかわからなかった。

明確な共通テーマがあればそこに縋れるし、居場所をつくることができる。存在を認めてもらえる気がしていた。


逆に、共通テーマを持つ者同士の場に居合わせ、私がそのテーマを有していないときは本当に不安になる。

存在を認めてもらえていない、置いてけぼり感。

「知らないから教えて!」というスタンスで臨めればよいのだが、そこにどうしても「私にはその知識がない」という見当違いの劣等感を覚えてしまい、「ここは私のいるべき場所じゃない」と去ってしまう。

 

 

いい歳して、ばかみたい。

目が覚めたのは最近のことだ。

 

いいじゃない、知らなくたって。

いいじゃない、魅力を教えてもらえば。

いいじゃない、「興味あり」どまりの自分で。

 

LUNA SEAのファンをSLAVEと呼ぶなど、全知全能の神を以ってしても「さすがにそれは知らん」とお答えになるだろう。

むしろ重要なのは、興味があるならばなおさら「知らないから教えて」と素直に言えることなんじゃないか。

 

人とつながるために何かを好きになる、否、「好きになろうとする」というのは、不自然な順番だった。

無理やり好きになろうとして、飽きて、いろんなことを無に帰してきてしまった。

 

これからはもうちょっと、実になる生き方をしていきたい。

いろんな知識をわけてもらいながら、「興味あり」が「好き」へと花開くことがあるかも。

 

 

 

そういうわけで、いま、友人に薦めてもらった「ラブライブ!」にお熱です。

(推しは、にこと、マキちゃん)

 

μ's Best Album Best Live! Collection II (通常盤)

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