言いたいことやまやまです

仕事をやめ、誇りを持って主婦として生きることにした1985年生まれ。金儲け臭ゼロのブログで生きざまを書き綴っています。お金はいつでもほしい。

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公開予定だった記事が「お蔵入り」モノだと気づけた

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今週は「習慣化」にチャレンジ中。

平日の21時にブログ記事を更新することを目標にしていて、今日の分もばっちり準備ができていた。でも、夕方の外出時に電車の中でふと投稿予約状態の記事を読み、気づいてしまったのだ。

「あれ、これは、もしかしてお蔵入りさせるべき内容では……」

今年の私のスローガンは「自意識過剰に生きる」。

これまでは比較的平和なジャンルだと称される「食レポ記事」ばかり書いていたけれど、出たがりな自分、他人からどう見えているかを気にしてしまう自分の特性(悪癖)に向き合い、それをネタ化できるようになりたいのだ。

たとえば、こんな記事。⇒服にコーヒーをこぼされたらどうするか

食べ物以外のネタを書くときは、いつもそこそこ、ビビりながら公開している。今日も、日々思っていることをまとめた記事だった。なかなかデリケートなテーマの記事だということは自覚していて、いつも以上に読み直しては修正、を繰り返していた。

なのに、「これは公開しちゃだめなやつだ」と気付けたのは夕方のこと。誰かを攻撃するような内容ではないし、悪口を書いているわけでもない。でも、「特定の条件が揃った人、そしてその方と近しい関係の方がご覧になったら不快にさせる可能性が高い」ものだった。主義主張の伝達や、読後の笑いや感動に至るための必要悪、というわけでもなかった。

愛聴しているTBSラジオ「荒川強啓デイ・キャッチ!」で、火曜日にたまたま年末の「ガキ使」の浜ちゃんの扮装の話題になり、「あの扮装でなければ成立しないというものでもなし、わざわざ、敢えてあの扮装を選んだのは悪しきことだと思う」といったコメントがあった。私の記事はまさにその手のものだった。

外出の用事がなかったら、記事を読み返していなかったら……と思うと、怖い。

そんな文章を書き綴ってしまう己の想像力の乏しさを恥じたが、きちんと気づけたことを褒めてあげようとも思った。

誰でも情報が発信できる時代、自分さえいればメディア運営できてしまう時代。それは喜ばしくもあり、恐ろしいことでもあるんだ。我々に編集さんはついていない。発信する内容はすべて自分の責任でチェックしなければならないが、自分ひとりの想像力には限界がある。

直接誰かと会うのもいい、コミュ障なら映画や本やテレビなどから情報を得たっていいから、メディアを運営する以上は受け手のことを想う想像力を絶えず磨いていかなければならないと思った。何を今さらとおっしゃるでしょうが、今日改めてそう思ったのだもの。それでもきっと、この先ヘマをすることがあるんだろうな。そのときはせめて、素直に謝り、反省し、償う努力ができる自分でありたい。

さて、私が今日公開予定だった記事を「やばいかも」と思えたのは、前述のラジオのおかげであるし、そこから連想で思い出した、昔見たノンフィクションドラマの1シーンのおかげでもある。形態はどうあれ、外部から「人」に関する情報を入れることの大切さを知った瞬間でもあった。

知ることに無駄はない。「百聞は一見に如かず」という言葉はその通りだと思うけれど、無知は百聞に如かずである。