言いたいことやまやまです

仕事をやめ、誇りを持って主婦として生きることにした1985年生まれ。金儲け臭ゼロのブログで生きざまを書き綴っています。お金はいつでもほしい。

やままあき

Author:やまま (id:yamama48)

仕事をやめ、誇りを持って主婦として生きている1985年生まれ。我慢しない人生を送ろう!
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頼られることに喜びよりも不安を感じてしまうダメな大人は私です

このツイートがすてきで、いいねボタンを押したのだけど、直後にもう一度押して取り消そうかちょっと迷ってしまった。私自身は、頼られるということに複雑な気持ちを抱いてしまうからだ。

 

「頼られる」「依頼をもらう」ということは嬉しい。しかしそれ以上に苦しくなり、その重量に押しつぶされて、嬉しさはぺちゃんこになってしまう。認めるのは辛いことだが、頼られることが苦手、なのかもしれない。

嬉しさをしのぐほどの苦しさと不安感。なんともいえぬ「嫌な」気持ちになるのだ。何かを依頼されたときのシミュレーションをするだけで、私の表情は少し硬くなる。

なにゆえ、不快になるのだろう。「依頼」とは能力を認めてもらっている証拠、存在価値を見出されている証拠……承認欲求の化身のような私にとって、むしろ好物であっていいはずなのに。

モヤモヤしたこの気持ちを紐解いていくと、「逃げたい」「プレッシャー」「ちゃんとやらなきゃ」といったキーワードが、炙り出しのようにじわじわと頭をもたげてくるのがわかってきた。ああ、また「べきねば症候群」を発症しているのか!

 

「ちゃんとしなければ」は、私の人生における最大の敵かもしれない。

30歳を過ぎてなお、幼いころに描いた夢には近づけておらず、子どもを産むでもなく、意識の低いOLとしてダラダラと日々を生きている。資本社会経済をほのかに回す消費者のひとりでしかない。

必要とされたい、名をあげたい。そう思いながらも自分で自分を抑圧している。「出る杭は打たれる」ものなのに、「打たれる」ことへの恐怖に身を震わせ、怒られないように、否定されないように、「ちゃんとしなければ」と無意識のうちに自分を律そうと躍起になっている。

幼いころは、褒められることばかりだった。ちゃんとしている、しっかりしている。それをどこかで、「褒められる=優秀であり必要とされている」「怒られる=不出来で不必要」と勘違いし、その認識を何度も自分で擦り込んでいってしまったのではないか、と今は思っている。20年以上自分に呪詛を送っていたようなものだ、そう簡単に変わることはないだろう。

それゆえ、気づかぬうちに「怒られるような事態」を回避する思考・言動を取ってしまう。これは私にインストールされたプログラムなのだ。誰かに何かを依頼されたときの不快感は、プログラム発動の証。「ちゃんとやらなければ怒られるんだよ」「“怒られる”ということは、”おまえは無価値で、期待に応えられない能無しの存在”ということなんだよ」「だから、回避せよ」

モヤモヤとした嫌な気持ちは、そのアラートだ。

本当に、公私にわたって「お願いされること」に弱い。そしてそんな自分が悲しい。だっていつまでたっても、このままじゃ絶対に「自分の名前で仕事をする」なんて無理だもの。だから、変わらないと、変えないと。

……と、思っていたのだけど、カウンセリングやコーチングの先生方にお世話になるなかで、「”変える”のはほぼ無理」という自分なりの結論に至った。なぜならこの思考回路や脊髄反射は「20年もの長きにわたり積み上げられた呪詛の効果」であり「プログラム」なのだ。「持病」と言ってもいいかもしれない。そんなものが、一朝一夕の決意ごときで変わるもんか。年始の抱負ごときで変わるもんか。本気を出せばできないこともないだろうが、ビッグバンに匹敵する何かが自分のなかで起こることでもなければ、並大抵の努力で達成できることではないはず。

それに、「変えなければ」という想いを抱きすぎると、「変えたいのに変わらない自分」との間できっとまた悩むことになる。

……ということで、「自分の性質とうまく付き合う」が現時点での私の答え。

 

付き合い方のひとつとして、「やってください」とお願いされる前に、自分の気持ちを「これやりたい」に持っていくのがよいようだ、というのがわかってきた。

プライベートはまだしも、仕事(本業)は日々このトレーニングです。いま広報部に所属しているのだけれど、興味のない案件の広報活動をしてくれと突然頼まれると、プログラムのアラートは最大音量でけたたましく体内に鳴り響くのだ(興味のあるなしで仕事に取り組めなくなるなんてプロじゃないですよね……ほんとすいません、情けないです)

いかにして「これやりたい」化するか。

いろいろ試している最中ではあるが、その案件(プロジェクト)が始動しはじめた段階で仲間に入れてもらうのが効果的だった。

新卒入社したのが広告制作会社で、そこではチームで動くのが基本だった。よい先輩方に囲まれていたせいか、チームプレイがけっこう好きらしいのだ。というか、発言やアイデアへの反応を欲してしまう!アイデアを出して「それいいね!」と言われればやる気が出るのだ。単純。

ほぼできあがった状態で「あとよろしく」が本当に苦手……とはいえ広報という立場上、ひとつひとつのプロジェクトに深く入り込んでいたら1日24時間じゃ足りなくなるわけで、いやはや、いまの仕事、苦手だなあ……

いつの間にか仕事の愚痴になっちゃった。

何を書きたかったかというと、みんながみんな、頼られてうれしいわけではないのだということでした。でも、「頼られて、そこに悦びを感じてがんばって、その成果によってさらに頼られて」……というよいスパイラルを生み出せる人間に、本当はなりたいんです。なれるように、まずは「自分の思考のクセとうまく付き合う」ことから……。