言いたいことやまやまです

仕事をやめ、誇りを持って主婦として生きることにした1985年生まれ。金儲け臭ゼロのブログで生きざまを書き綴っています。お金はいつでもほしい。

やままあき

Author:やまま (id:yamama48)

仕事をやめ、誇りを持って主婦として生きている1985年生まれ。我慢しない人生を送ろう!
自己紹介はこちらです。
読者登録していただけると嬉しいです!
お問い合わせはこちらにお願いいたします。

自己受容
妊娠出産育児
レビュー
自己紹介

年賀状と「嫌われる勇気」

日本郵便が今年の元日に配達した年賀状は前年比約6%減の16億4000万枚となり、8年連続で前年を下回った。

(中略)

年賀はがきの発行枚数は、2017年用は約30億枚となる見込みだ。04年用に過去最高の44億6000万枚を発行して以降、減少傾向だ。

(※引用元:年賀状、減少止まらず…「嵐」2年連続で起用も (読売新聞) - Yahoo!ニュース 

元日に配達された年賀状の枚数が、年々右肩下がりになっている。そうだろうなあ、と思う。私自身も年々、年賀状を書く枚数が減ってきている。はがきを買いに行く、住所を確認する……ひとつひとつの手間は小さなものなのだが、積み重なるとどうにも面倒くさいというのが正直なところ。さらには「私が年賀状を送ることで、相手にこの手間を強いることになるわけで、ムム、かえって悪印象なのか……!?」なんて想いも湧いてくる。何が正解なのかわからなくなってくる。

昨年末に引っ越しをしたため、私の手元に年賀状が届くタイミングはマチマチだった。郵便局の転送サービスに感謝しつつ、ちらほらと届いた年賀状の総枚数は昨年より少なかった。たぶん。

年賀状の悩み

その枚数が多かろうと少なかろうと、なんだかんだ言って、やっぱり届くとうれしい。添えられたメッセージにほっこりさせられることも多々。

しかしうれしい反面、心が不安にゆらぐときでもある。

私は出したのに、いただけていなくてちょっとションボリ。
私は出していないのに、いただいてしまったらドウシヨウ。

実際、どちらのパターンにも必ず遭遇する。

こうした「年賀状による心のザワツキ」を感じている方は多いようだ。Q&Aサイトで「年賀状」を調べてみると一目瞭然、出るわ出るわ悩みの数々。

ざっと拝見する限り、大きく2種の悩みが存在するようだった。

ひとつは、「返事はいつまでに?」「喪中の方に年賀状を出してしまったら?」といった「ルール確認」系のお悩み。

そしてもうひとつが、「年賀状の返事が来ないのだが?」「ひと言添えられていないオール印刷年賀状についてどう思うか?」「年賀状を出すのはかえって失礼なのか?」といった「私のコミュニケーション常識まちがってますか」系のお悩み(愚痴に近いものもある)だ。

「人間の悩みは、すべて対人関係の悩みである」

ふと脳裏をよぎったのは、ベストセラーとなっている書籍『嫌われる勇気』。遅ればせながらこの年末年始でやっと読むことができたのだが、日々対人関係と自意識に悩まされている私にとって、とてもとても価値ある1冊だった。

(ちなみに『嫌われる勇気』は、「哲人」と「青年」の対話によって「アドラー心理学」が読み解かれていくという内容。この「青年」の頭でっかちで高飛車なキャラクター設定、選び抜かれた台詞の数々が私の萌え心を刺激してくるという大きな側面もあり、ときめいたセリフにマーカーを引いたほどなのだけれど、それはまた別の機会に)

そこに出てくる究極の教えが「人間の悩みは、すべて対人関係の悩み」というものだろう。

アドラーは、対人関係の悩みを捨てるために「承認欲求を捨てよ」と言う。承認をエサに育ってきた私は涙目である。アドラーによれば、「他者の承認を求める」ための行動は他者の欲求に沿ったもの(相手の顔色を窺ったもの)であり、自分らしさがない、自由がない、だから辛くなっていく!ということだった。たしかにそうだ、「やらされてる感」が出てきて自分で自分のやっていることが嫌になったりするんだよね。

承認欲求から卒業するために大事だと思ったのは、同じくアドラーが説く「課題の分離」という考え方。ざっくり言えば「自分は自分、他人は他人」という考え方のこと。相手が自分を承認するかどうかは相手の問題であり、自分は関与することができないのだ、という至極当たり前の話である。当たり前のことだとわかっていても、相手を期待してしまいがちだから難しい。「ありがとうのひと言を言ってくれてもいいのに、なにも言いやしない!」とか。例はいくらでもあるだろう。

関与できない問題に腐心するよりも、「自分の課題」に向き合ったほうが生産的だ。今回の年賀状で言うならば、年賀状を送ってくれるかどうかは相手の問題。私は送ったのに!などと苛立つのはお門違いだし、なにより無駄なエネルギーである。その活力、ほかに回したほうがいい。一方、自分が返事を出すかどうかも自分次第。「出さなければ失礼だから」「嫌われたくないから」といった、相手の反応ありきの判断ではなく、「自分がどうしたいか」に素直になってみたい。「今年も元気に新年を迎えたことを知らせたい」と思うならば送ればいいし、その連絡手段が年賀はがきではなく、メールやLINEという場合もあるだろう。「こう思われそうだからこうしよう」という考え方に振り回されないようにする。

……といったことを1月初旬に書いていて、〆の言葉には「年賀状を出し忘れたけど出したい、という方には寒中見舞いがおすすめ!立春(2月4日)までに着けば大丈夫*1だよ★」といったものを用意していたのだが

立春、今日じゃん。

それでもこの記事をアップするという判断は、自分の意志に忠実になった結果でございます。

立春を過ぎていても、便りを出したかったら出せばいい。便りをもらって嫌な心地がする人はほぼいないものと思われるが、万が一、億が一、迷惑がられてもそれは相手の問題でありあなたの問題ではない。卑下することはないのだ。

*1:喪中の人にも!寒中見舞いを出す時期や文例|富士フイルム