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言いたいことやまやまです

自意識過剰な三十路OLの言いたくても言えないこといろいろ(食ネタ多めで)。

自分や他人にイライラしない、ネガティブにならないための対策法(まだまだ模索中)

趣味でカウンセリングルームに通っている。

以前このブログでも書き記したことがあるのだが、私はとかく「こうするべきである」というベキベキベッキーな呪われたモノサシを携えているようで、誰に頼まれたわけでもないのに、なにかと計測するのである。 

yamama48.hatenablog.com

 

「私はできてない」「あの人はやってない」云々。
苛立ち、落ち込み、嗚呼、我が人生ドラマティック。

考えていることのほとんどが「私はどうしてあんなことをしてしまったんだろう」「私はなぜ快く対応できなかったんだろう」なんてことで埋め尽くされることなんて、ザラだ。自分大好きなんだねェ。ため息が出ちゃう。

一方で私はまた新たな悩みを抱えるのだ。
「この、悩む時間はあまりに不毛だ」と。

どうせ考え事をするなら「明日はブログでこんなことを書こう」とか「仕事でこんな企画を提案してみよう」とか、生産的な時間にしたい。命短し生産的に生きよ乙女。

そんな話をぶつけられる場として、カウンセリングルームを訪れる。アホみたいな悩みだけれど、飲んで忘れることもできないし、克服しなければ堂々巡りだから。

つい最近も相談に行ってきた。今日はそこで得たアドバイスを元に考えたことを備忘録として記しておきたい。自分や他人を「こうするべき」というモノサシで測らない、キリキリしない日々をいつの日か掴むのだ。

※あくまでもアドバイスをもとに私が考えたことであり、専門家の意見そのものではないこと、ご了承ください。本当に、まだまだ模索中です。

 

ベキベキモノサシに振り回されないための3つの対策法(ベータ版)

【1】「共感」視点を持つ

家族や友人、人としては尊敬するけれど仕事に対するスタンスが異なる職場の人など、「大切な人だけれど考え方や趣味嗜好が異なる人」と接する際に有効。

たとえば、3代目 J Soul Brothersが好きだという友人を全く理解できない、そんなとき。「かっこいいよね!」と目を輝かせる友人に「同感」しようとすると、「えー、そう?」「どこが?」という反発心が湧いてしまう。

そこで、「同感」を「共感」にシフトチェンジ。

「(世の中的に見れば)かっこいい(ということになっている)ね。(私は好みじゃないけど)」という具合。事例がイマイチかな…。

ではこれならどうだ。

「極力定時の時間内で働き、帰宅後はブログを書くなど自分の時間を充実させたい」私と、「自分の時間を削ってでも働きたい」という職場の人。

働かせてもらっているんだから、お給料をいただいているんだから…と思うほど、自分の望みは悪しき物に見えてくる。でも望んでしまう。だから勝手に職場の人を敵視したり、必要以上に「私はダメな社員」と卑屈になったりする。毎日居心地が悪い。

「会社の一員として粉骨砕身して貢献するべき」というモノサシをもとに「共感」しようとすると、その心地悪さからはいつまでも脱出できないだろう。

そんなときは、お互いの求めるものを抽象的に捉えてみる。

たとえば、「自分が求める領域で活躍したい」という想いは共通しているのではないだろうか。フィールドは違えど、互いに頑張っている。私は決して、サボっているわけではない、と思うと少し自信も湧く。(職場の人々がどう思っているかはさておき)必要以上に卑屈にならずに済むだろう。

私はここ1~2週間、この考え方に基づいて、「みんなに快く思われていないに違いない」という想いを振り払うように、堂々と振る舞ってみた。卑屈に過ごしていたころより、コミュニケーションが取りやすくなったように思う。

 

【2】「背景」に意識を送る

そうは言っても、「理解なんてできなくていいやい」と思うくらい嫌いな人や、通りすがりのむかつく人というのも存在する。彼らに対しても都度「共感」姿勢で臨めたらいいが、なかなかそういうわけにもいかないだろう。少なくとも私は無理だ。

これは対象物を一点集中で追ってしまうから苛立ちが抜けないわけで、意識を分散させる必要がある。

うまく文字にできないので、イメージを。

目の前に人差し指を立てて、見つめてみる。
人差し指がくっきり見え、背景はぼけている。これが「一点集中」の状態。
逆に視線の意識を背景のほうにもっていくと、人差し指はぼけてしまう。

こんなイメージで、意識を分散させるのだ。
相手の背景を注視し、対象物を背景化することで苛立ちを抑える。

…と、先生のアドバイスをもとに書いては見たけれど、まだ自分の中に落とし込めていないというのが本音だ。実践するとなると、かなりの技量を要するものと思われる。

たとえば電車のなかで、目の前に化粧中の女の子がいるとする。
彼女に集中してしまうとなんとなくイラッとしてしまうので、彼女の隣の席の人の様子を窺ったりすればいいのだろうか。あるいは、彼女の背後に掲げられた車内広告を注視する?いやいや、いっそスマホを出してそちらに集中すれば、彼女の姿はボケるわけか。

…うーん、「背景に意識を送る」って、こういうことじゃない気がするぞ。

じゃあこれはどうだ。

たとえば職場に相性の悪い人がいるとする。その人は業務上何も関係ないのだけど、たまにトイレなどで鉢合わせ、挨拶をしても無視されるということにしよう。彼女に意識を集中させると苛立つので、彼女の存在をきっかけに、彼女が所属する部署のことを考えてみる。あそこの部長、いっつもズボンの裾がちょっと短いんだよなァ…とか。

…うーん、そういうことなの?違う気もする。このことについてはまた、カウンセラーの先生に相談してみよう…。

 

【3】対抗心を手放す

勝手に他人をライバル視して、張り合って疲れる、なんてこともある。

「よい企画を社内会議で通すべし」というモノサシが自分の中にあるとして、がんばってはいるものの、それを上回る結果を出している同僚がいるとする。次の社内会議、あいつよりもうまくプレゼンしなければ…なんて具合で、「相手より劣っている自分」に苛立つ、というケース。

競争心は大切だが、それで摩耗して、肝心なところで使い物にならなくなってしまっては意味がない。

そんなときは「対抗心を手放す」ことにしたい。

「奴よりうまくやらねば」「奴に勝たねば」の代わりに、「自分が満足できるプレゼンをしよう」とか「楽しく話そう」とか、「ライバルへの勝利」以外の自己満足ポイントを設けるのだ。

 

最終的には「いかに自分が気持ちよくいられるか」

カウンセラーの先生のアドバイスをもとに、自分なりに3つの対策法としてまとめてみたが、最終的に目指すのは「心地よく生きる」こと。

生きているだけで、頼んでもいないのに数多の「心地悪くなること」がこの身に寄って来る。なのにわざわざ自分から率先して「怒り」「我慢」「嫉妬」その他、ネガティブな感情を掴みに行くなんて、やめたほうがいい。

3つ目の対策の項目で「手放す」という表現を使った。

カウンセラーの先生がよく使う言葉なのだが、この3文字をイメージすると、肩の力が抜けるような、ほっとする感覚がする。こんなふうに、少し気を緩めていくのが大事なんだろう。

ベキベキモノサシを片手に意識を集中させすぎているから、「これは善」「こっちは悪」という両極端な考え方になる。気持ちを緩める。モノサシを手放す。

せっかく努力するなら、毎日を心地よく過ごすための努力を重ねたい。

 

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アラサー女はいろいろ(勝手に)悩んでいます