スタバで昼ごはんを食べた。
スタバ自体には日々お世話になっており、Wi-Fiが使えること、2杯目のコーヒーが108円ぽっちでいただけること、感謝してもしきれないのだが、サンドイッチ類は高いので食べようと思ったことがなかった。
しかしこの日はどうにもタイミングが悪く、スケジュール上、作業のために入ったスタバで腹ごしらえをするのがベストという判断に至った。不本意ながら、いちばんボリュームがありそうな「石窯フィローネ タンドリーチキン」なるホットサンドを選ぶ。税抜460円!
スタバのホットサンドを食べるのは生まれて初めてかもしれない。大きめのぷりぷりチキンが2つ、ソースはチリコンカンのような味がした。豆とか玉ねぎも入っていた「石窯フィローネ」なるパンは粉まみれのタイプだった。おしゃれなやつです。
チリコンカン風ソースを吸ったパンがおいしかった。汁を含んだパンにまずいものってあるんだろうか。立派な盆栽を見ながらのランチタイム。優雅だな。
ところでスタバといえば、ひとりひとりのスタッフさんが自分の言葉で接客をしてくれるなあという印象がある。みんな若いのに偉いなあと感心してしまうのは、大学生の4年間、Dから始まる喫茶店のアルバイト店員としてふてぶてしく働いたからだ。ちょっと面倒なことになるとあからさまにふてぶてしくなるので、お客さんをさぞや不快にさせたことだろう。スタバの若者たちは私にとって尊敬に値する存在に他ならぬ。
しかし、この日私に対峙したスタッフの女の子はふてぶてしかった。タイムスリップして過去の自分に会っているかのような心地になるほどであった。
万札しか持ち合わせがなかったのは、確かに悪かった。しかし釣銭を、紙幣も硬貨もTポイントカードもレシートも全部重ねてぐいっと渡されると、財布にしまうのに手間取ってしまうよお嬢さん。当惑はしたものの、スタバにもこういう子がいるのかあ、とホッとしたというか、妙なシンパシイを感じてしまった。
むしろイラッとするのは、「丁寧すぎる接客」だ(スタバではあんまり遭遇しない。Dから始まる喫茶店などのほうが高頻度で出会う気がする)。柳原可奈子が真似するような接客。口を横に開きながら発声すると、あの声が出る。
言葉は丁寧、商品も間違いなく提供されている、なのに気持ちが逆撫でされる。閉会中審査における安倍首相の「丁寧さ」みたいなものだろうか。
言葉は「気持ちの器」にすぎないのだと思わされる。どんなに美しい器でも、中に泥が盛られていたら台無しだ。それならいっそ、泥団子でいい。泥のまんまでいい。美しい器に盛ることで、泥の汚さが強調される。嫌味な気持ちが伝わってくる。バカにされている気がする。きれいな器によそっておけば、これが泥なのかカレーなのか見分けがつかないだろうと嘲笑されている気がする。
……と、話の流れで泥団子をちょっと肯定してしまったけれど、それはそれでダメである。スタバでは稀有な彼女も、過去からなにひとつ性格の変わらない私も、善き人間になるべく努力をしなければなるまい。