言いたいことやまやまです

仕事をやめ、誇りを持って主婦として生きることにした1985年生まれ。金儲け臭ゼロのブログで生きざまを書き綴っています。お金はいつでもほしい。

やままあき

Author:やまま (id:yamama48)

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SNS・メール・PV数欲求が出たら「承認欲求」赤信号間近!自分を信じきる「勇気」を持とうと思った

今日もジメジメ、身体に力が入らずやる気が出ない。ブログも当然書く気がしない。サボるかな~とも悩んだけれど、

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これでしょう。2ヶ月間毎日鍛えてきた「書く筋力」を試すとき。よろしければお付き合いください。

最近心身が低調気味でした

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先週末ごろから「ちょっと調子悪いなあ」と思っており、月曜日には脳が本格的に「よくなかったこと探し」をするようになっていると感じたので、その夜、急いでカウンセリングへ。

「よくなかったこと探し」は怖い。ひとつひとつの些末な「よくなかったこと」を探し集め、フンコロガシのように「私はなんて価値がないんだろう」という巨大な糞感情を生み出すので、どこかでこれを断ち切らないといけない。

その夜はカウンセリングのおかげで明るい気持ちになれた、かと思いきや、帰宅してからまたフンコロガシになりつつあることを実感。

便秘になるし体重落ちないし眠気が取れないし何も楽しくないし……と、小さな糞感情をかき集め始めてしまった。

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▲これは「よかったさがし」(ポジティブすぎてイライラして途中で観るのやめた経験あり)

 

 メール欲、SNS欲、ブログPV欲が出たら要注意

しまった、とハタと気づいたのが木曜のこと。

とかくスキマ時間にFacebookを見てしまう。Twitterでエゴサーチをしてしまう(いじってもらえるほど有名でもないだろうよというツッコミはさておき…)。スマホでは見ないようにしている会社メールを無駄に受信更新してしまう。やたらブログのアクセス解析(といってもPV数見るだけ)をしてしまう。心のF9キーを連打(Win・Outlook党)している。

Facebookは実に危険である。私の自慢のひとつでもあるが、友人・知人にエネルギッシュな方が多いのだ。普段であれば刺激がもらえそうなものだが、F9モード(と命名)のときは、だめですね。

ご家族の写真を見ては「あー私、女として価値がないんだろなー」と思い、自炊写真を見ては「料理嫌いでスイマセン、私って価値ないなー」だし、フリーライターさんやブロガーさんの記事更新やニュース記事を読んでは「仕事を理由に企画提案できていない自分にはライター・エッセイストの資格ないなー」だし、自分と同じ広報職の知人の投稿をみては「あー私広報向いてない、早く辞めたい」だし、どうでしょうこのフンコロガシっぷりは。

とりあえず1日だけSNS断ちをして金曜を迎えたのだが、心身はますます絶不調に。そういうときに限って仕事もバタバタモードに……

 

人の身体の60%は水分でできているというけれど、上記症状が現れたら、身体の9割9分9厘は承認欲求でできている、と思った。

ブログのPV数やSNSでの自分に対するコメント、会社メールの私宛のメッセージ、それらを隙あらば求めるのは「承認欲求の塊」になっている証だ。

で、当然ながら各方面において人気者でも大物でもないわけで、私が求めるものはそこにはない。それを目の当たりにした私はなんだよチクショー!と、ポケストップ感覚で「私は落ち込んでいます、励まして下さい」というコメントを投下するのだ。人を人だと思えていないフェーズ。人はポケモンではない。私が逆の立場だったら「なんだよイテエ奴だなあ、巻き込もうとするなよ」でバッサリ、見なかったことにする。でも恥ずかしげもなくやってしまうのだ……信じられん、否、信じたくない。相手のことを考えていない、あからさまに一方通行なコミュニケーション、というかタダの独り言、道行くオッサンの痰吐きと同じだ。

(今回もやっちまいました……コメントやメールをくださった方に心からお礼申し上げます。私も皆さんのようになりたい。与えられる人にならなければ何も与えられないと思います)

 

脱却には「勇気」を

フンコロガシから人間に戻るためにはかなりのパワーが要る。

飲み会を開催したり、カラオケで大声を出したり、ドカ食いしたり、あえて高いものを買ってみたり、そんな「ハレの場」を起爆剤にするのも有効だろう。

でも、最終的には「勇気」の問題なのかなと思った。

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ちょうど『幸せになる勇気』を読み返していたところというのもあるだろう。哲人がひたすらに「勇気」の話をし、青年が「はっ!お笑い種ですね!」とか「あなたは独善者だ!」みたいな高飛車な反応をするのが愉快な本、という認識でいたけれど、あらためて読み返すと沁みますね。

自分を信じる勇気によって、フンコロガシは人間になれる。

「私は多くの人に求められている」「私には価値がある」「私は大物になれる」などと”思い込む”のだ。「思い込むことにする」ではなく、本気で思い込む。

これは大変な勇気が必要ですよ。

自分が小者だということ、たいした人間ではないということ、何の専門的な知識も持ち合わせておらず特殊技能もない、そんなこと誰よりも自分がわかっているからだ。そのうえで「私はすごいのだ」と思い込むだなんて、正気の沙汰ではない。

……ここでふと、疑問に思った。なぜこんなにも「自分を信じる」ことに勇気が必要なのか。いくら自分が小者であろうとも、「おれはすごいんだーワッハッハ」と思い込んだところで、それは罪ではない。なのに妙に不安感と恐怖感がつきまとうのはなぜか。

そこに「罪悪感」が生まれるからではないだろうか。

この島国ジャポンで産声をあげ、30年も生きてくれば「「御芳名」の「御芳」は二重線で消しましょうマインド」が骨の髄まで浸みこんでしまっている。謙虚第一。「小者のくせに大物ぶるのは傲慢であり、厚かましいことである、それすなわち”罪”である」と脊髄反射で考えてしまう。

これを乗り越えたら、強くなれるんじゃないか?自分で自分を信じる「勇気」を。

自分の存在価値の根拠を他人に求めているようじゃ駄目なのだ。逆の立場になってみよう。「私って、存在価値ありますか?」と物欲しげな目で訴えかけられてもみろ、視線を外しながら「え、あ、うん、あるんじゃないですか」としか答えようがないじゃないか!

己の存在価値の根拠は己の心にある。

世の中、大物だらけだ。「情熱大陸」「プロフェッショナル」「カンブリア宮殿」「ジパング」その他ビジネス書等々、大物の姿を観る機会は数多存在する。Facebookを見ればもっと身近な大物たちがごろごろしている。比較して己を小者だと思ってしまう、私なんてと思ってしまう、そこが落とし穴なのだ!!!それはそれ、おれはおれ。

落ち込んでいる私に、ある方が「王であれ」という励ましのメッセージをくださった。その時はメッセージをいただいたことそのものに感謝をしていたけれど、いまはこの「王」というキーワードが心に残っている。

「自分王国の王様」でいよう。他国の領土のデカさにビビることもあるけれど(そればかりだけど)、王は王。凛として生きよう。小さな領土でいいもんつくろう。王であれ。

以上、雑な意見だけど、昨日、今日で考えていたことのメモです。

 

……あっ、1時間で書けた!!!それを20分くらいで雑に校正した!書く筋力ついてた!!よしよし、がんばろう。

あと、これを書いていたらすごく元気が出てきました。不思議な心地です。