言いたいことやまやまです

仕事をやめ、誇りを持って主婦として生きることにした1985年生まれ。金儲け臭ゼロのブログで生きざまを書き綴っています。お金はいつでもほしい。

やままあき

Author:やまま (id:yamama48)

仕事をやめ、誇りを持って主婦として生きている1985年生まれ。我慢しない人生を送ろう!
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健康優良児の私がカウンセリングルームに通い始めてから約3年。今月も救われました【日記】

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健康には自信がある。インフルエンザにかかっても(罹患しているとはつゆ知らず)ウォーキングしてしまうほどには元気である。

ただ落ち込みがちで、悩みのタネを見つけてはYahoo知恵袋で検索してどん底に突き落とされることを繰り返す癖がある。もはや趣味レベル。そのうえ喜怒哀楽がすべて表情と言動に出てしまうので、悩んでいる最中など目も当てられない”イタイ”状況に……。常々親からは注意を受けてきた。

こういうときに提示される対応策というのは「大人というのは、ちょっとやそっとの嫌なこと、辛いことに振り回されるものではない。顔で笑って心で泣いて!」というものが多いのではないだろうか。

こんなことでそんなショッパイ顔をするなんて、甘やかされて生きてきたことの証!試練の数が足りていない!逆境に慣れろ!

もう、ほんと、おっしゃるとおりです。乗り越えられない私は大変なガキンチョで、疎まれ者で、人としてカスで……(再びYahoo知恵袋ルートへ)。

このままではいたくない、変わりたい、と思ってたまたま門を叩いたのはカウンセリングルーム。精神的な病を抱えているわけではないので最初は訪問を少しためらったけれど、今となってはそのときの勇気に感謝している。

まだまだ大人にはなりきれていないので偉そうなことは言えないが、カウンセラーの先生が「気合いで乗り越えろ!逆境に慣れろ!!」ではない解決ルートがあることを提示してくれたからだ。

「アファメーション」ができなくなったらフラリと訪問

自分を信じる勇気によって、フンコロガシ(※注:ネガティブモードのことを記事中でこのように称した)は人間になれる。
「私は多くの人に求められている」「私には価値がある」「私は大物になれる」などと”思い込む”のだ。「思い込むことにする」ではなく、本気で思い込む。

SNS・メール・PV数欲求が出たら「承認欲求」赤信号間近!自分を信じきる「勇気」を持とうと思った - 言いたいことやまやまです

カウンセリングルームに3年通ってなお、まだまだネガティブになりがちなのだが、前向きな気持ちのときほど生活はうまく回っていくものだ、ということは心身でしっかり理解できるようになった。

なるべくそのモードでいるための工夫として、先生に教わった「アファメーション」に毎朝取り組んでいる。

アファメーション(affirmation)とは肯定的な断言をする事。個人的な「誓約」をする事。
具体的には「~したい」「こうなれば良いな…」という願望を「~なっている。」と断定して繰り返し唱える事で、潜在意識に働きかけ、変化や成長が遠くの未来にあるものではなく「今・ここにあるのだ」という現実を作り出す事と言われている。

※引用元:アファメーションとは - はてなキーワード

先日テレビを見ていたら、アメリカで行われた世界ジュニアゴルフ選手権「6歳以下の部女子」で優勝した須藤弥勒ちゃんとそのご両親の生活に密着する番組に遭遇。彼女は毎晩寝る間際、東大卒というお父さんの目の前で、鏡に向かって「私は優勝する」といったことを大きな声で唱えていた。やっぱり「思い込む力」は大事なのだなあ……(ハタから見ると気持ち悪いけど)

さて、彼女のような「自己暗示サラブレッド」とは違い、私がアファメーションを始めたのは今年に入ってから。まだまだ照れもあるし、言葉に気持ちが追いついていかないことばかりだ。

身の回りのネガティブ要素を探し回っては「私はやっぱりだめな人間」と思い込もうとする「フンコロガシモード」に突入すると、毎朝のアファメーションはどんどん虚しいものになっていく。言葉だけが上滑りし、まったく心身に沁みてこない。なにひとつとして元気になれない。

最近はそんな自分に気づいたら、フラッとカウンセリングルームを訪問するようにしている。医療機関ではないので保険はきかないし、カウンセリング料は先生によってピンキリだが、90~120分で1.5万~2万円くらいのカウンセリングルームを見かける機会が多い。いずれにしても「安くはない」のだ。それゆえに敬遠する方も多いと思うが、

「どんなことを話してもいい」環境って、すんごくありがたい!

家族・友人・知人に相談するのもよいが、相談のはずが相手の相談事のほうが多くなってしまったり、相談事は結局話せずに共通の話題の愚痴になってしまったり、「気が置けない間柄だからこそ悩み事がすっきりしない」という事態に陥りがち。

カウンセリングルームはそこで要らない気を遣う必要がないのだ。お金を払っているからこそ、遠慮なく本音をぶちまけられる。ついつい精神的な病と紐づけてしまうが、健康な人がカジュアルに利用するのは大いにアリ。飲み会を2~3回ガマンしてでも行く価値はあると思う。

カウンセラーの先生に励まされたから、乗り越えられた

つい最近も、カウンセラーの先生に助けられた。

両親にテニスに誘われ、うっかり参加することにしてしまったのだが、その日は既に先約があった。テニスをして汗だくになり、その後シャワーや化粧直しをすると次の予定に間に合わないことがわかり、途端に不安になってきた。

「また、”空気が読めない” ”人に気を遣わせる” ”気が利かない”と言われるに違いない」

テニス当日のことを想うと、想像上の母の声が聞こえてくる。頭の中の、妄想上の母に腹が立つ。私はやっぱり駄目な人間なんだと悲しくもなる。考えると涙が出てきて、カウンセリングルームに駆け込んだ。

先生はこんなアドバイスをくださった。

「事象に意味はない、快か不快かを決めるのは自分の意味づけ次第」
「嫌だ嫌だと思っていると、その意味づけのせいで不快な日になってしまう」
「自分を”快”の方向に持っていくためには、自分のダメなところではなく、いいところ・成功したことを敢えて”出力”するのが有効」
「今から断るという選択肢もあるけれど、行くのなら、”応援”をがんばればいい」

そんな言葉を聞いて、「私は気が利かない、人に気を遣わせる人間だ。だからきっとまた注意を受けるに違いない」ということにばかり想像を膨らませていたことに気づいた。

自分のダメなところに想いを馳せるのは、やめやめ。自分のいいところがわからないから出力しようがないけれど、とにかくあれこれ考えるのはよして、とにかく”応援”に徹してみよう。

テニス当日、私は自分のダメ人間ぶりには一旦目をつぶり、自虐はせず、とにかく目の前で繰り広げられているテニスの試合にエールを送ることに集中した。自らラケットを振ることはせず、コートサイドの休憩席で時間を過ごすことになってしまったが、とにかく観戦・応援をがんばったつもりだ。

その結果、親からなにか注意の言葉を受けるでもなく、1日は淡々と過ぎて行った。「ああいうこと、こういうことを言われるに違いない」という不安は杞憂に終わったのだ。むしろ、楽しい1日だった。

第三者のアドバイスだったからこそ、素直に「ああ、そうか」と受け入れて実践することができたのだと思う。先生に泣きながら相談してよかった。恥ずかしげもなく泣けるのも、カウンセリングというサービスに対してお金を払っているからこそ。いろいろデトックスできたなあ。

とっ散らかってしまったけど、お伝えしたいことは「ちょっとした愚痴レベルでもカウンセリングルームは有効、カジュアルに楽しんでみては!?」ということに尽きます。