久々に本業が忙しい。
忙しいと、小さな「ありがとう」が沁みるものだなあと改めて思う。
恥ずかしい話だが、私は典型的な意識低い系サラリーマンであり、自らの業務に使命感や生きがい、やりがいを強く感じるタイプではない。生きるための「ライス」ワーク。
忙しくなったところで、やりがいが増したり給料が上がったりするわけではない。仕事量が増えるにつれて反比例して減っていくやる気、元気、井脇。
「これはお前の仕事」「やってあたりまえ」のものとして業務が増えていくのは当然のこと。わかっている。お給料をいただいているからには働くのは当然であり、雇用主を裏切るようなことがあってはいけない。でも、しんどくなることだってある。
そんな「やって当然」のことに感謝を伝えてくれる人が、たまにいる。「がんばっているの、わかってるよ」と合図を送ってくれる人が、たまにいる。その小さな「ありがとう」と合図のおかげで、どうにか逃げずにやれている。彼らがいなければ、ただでさえ少なめのやる気はあっという間にエンプティだよ…
一方で、何にも思っていないのに形ばかりの気遣いを見せる人もおり(思い違いかもしれないけどなんとなくわかる)、そんなことにイライラする自分が嫌になる。
つい最近、テレビ系のお仕事の方(たぶん制作会社の方)に急なお願いごとをされたのだけど、対応したところ感謝の言葉がなかったことに少ししょげた。声色からしてかなり忙しそうだったので仕方ないのだが、そっかあ…という悲しい気持ちに、つい。
人のふり見て我がふり直せ、の機会だったのだと思う。忙しいからといって周囲の方々の協力を当然のものとして雑に使っていないか?胸に手を置いて振り返る。………ヒヤリ。
最近思ったことまとめ。
- インセンティブや感謝の言葉を求めてはいけない(もらえたら儲けモンという気持ちで臨む)……でもこれ、つらい……
- 忙しさを理由に人の厚意を雑に消費してはならない
- 忙しい人にきちんとありがとうの気持ちが伝えられる人になりたい
マリオのコインは100枚たまるとライフひとつ増えるのだ。小さなありがとうで、サラリーマンは生き長らえる。