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言いたいことやまやまです

自意識過剰な三十路OLの言いたくても言えないこといろいろ(食ネタ多めで)。

自分らしいブログや記事ってなんだろうなあ

先日、ブログを書く者同士で集まる機会があったのだが、そこで「やままさんのブログは、昔の方がおもしろかった」という意見をもらった。いまは整いすぎている、昔はもっと混沌としていて、それがおもしろかった、と。

ブログに対する意見をもらう機会はほとんどないので、とても新鮮だった。しかも、長い期間にわたって見届けてくれているからこその意見で、ありがたいと同時に困惑する気持ちも大いにあった。

エッセイストになりたかった

私が文章を書くことに惹かれるようになったきっかけを与えてくれたのは、さくらももこさんのエッセイ本だ。自己紹介の記事にもしっかりと書き残したほどだが、何気ない日常を文字だけでこんなにもおもしろく見せられるのか、と小学生ながらひどく感銘を受けた。

私もこれ、やりたい、と思って今に至るのだが、まっすぐだったその想いは、いまや四方八方に分散してしまっている。ブログをはじめてから3年弱の間にもずいぶん変わった。

開設当初のほうが、分不相応ながらもエッセイストへの想いが強くて、「おまえの私情はどうでもいいよ」と言いたくなるような独り言もずいぶん含まれていた。しかしブログをはじめたことで、他人のブログを読むようになり、その方向性はどんどん迷走して今日を迎えている。

新聞テレビ雑誌、趣味の領域に広げればマンガ美術館映画に各種演芸、ここにブログやWEBニュースが加わると、インプットしたい情報の量に、身体と時間が追い付かない。それはみんな同じわけで、限られた時間のなかで選んでもらうというのは大変なことだ。固定のファンがついているような著名人でもないかぎり、一般人の私情など、読者にとって有益ではない。「情報」を書かなければ。

そう思うようになり、開設当初よりはずっと、記事のなかで語る自分の想いや意見のボリュームは減ったと思う。以前に比べれば、システマティックに飲食店や食べ物の情報をコンパクトに羅列できるようになった(と、思っているけれど、まだまだですよね…こんな記事書いてるし…)。

自分らしさとは

とはいえ、もともとは自分の名でエッセイを書きたいとまで思っていた身だ。なんだかんだと言いながらも、「署名つきで情報発信できる存在になりたい」という夢を描くようになった。とことん、自意識過剰だなとは思う。

「ライター」方向なのか「ブロガー」方向なのかは明確に見いだせずにいるけれど、とにかく、もう少し目立つところで、黒子としてではなく自分自身として情報を発信してみたくなった。だから寄稿の機会をうかがうべく、ライターを募集しているメディアに応募してみたり、寄稿の依頼が絶えないブロガーさんに話を聞きに行ったりした。そして、想いを叶えるには「何かの道での唯一無二の存在」を狙わなければ難しいのでは、というアドバイスをいただいたのだった。

つまるところ、専門性。

私はなにか固定のものに思い入れがあるわけでもなく、本業に強い興味があるわけでもなく(お給料をいただいている以上、真摯に働くよう努めていますが)、特別な資格を持っているわけでもない。書いているこのブログも、完全に「雑記」。食べ物の話ばかりかと思いきや、この記事に代表されるようなうっとうしいものもあるし、アニメや映画のレポート、落語の感想などなど、テーマがしぼりきれていない。

自分らしさとはなんなんだろう。求められる存在になるためにすべきこととは、なんなんだろう。テーマをコレと決めてとことん追求するくらいの気概が必要なのだ。やりたいやりたいと言うばかりで、その努力ができていないな、と感じる。致命的なのは、「書きたいのはわかった。じゃあ、何が書きたいの?」と尋ねられたとき、答えられないこと。専門性の「せの字」どころか子音のsすらない。これが現実だ。

私らしさって、なんだろうなあ。どうすりゃいいんだろうなあ。いまのままでは、書きたいものも見つけられないだろうし、誰からも求められない。みなさんには読まなきゃいけないもの、読みたいものがこの世にゴマンとあるのだ。そのなかで選んでもらうには、理由が要る。求められるものをいかにして書くか。ゴールから考えていかなければ。いかなければ。いかなければ。

 

(´;ω;`)

結局、また自意識過剰な記事になってもた…いいんだ、雑記ブログだもんね…がんばれていない自分がいやんなるなホント…がんばれよ、がんばれよ、本気ならがんばれよォォォ!

小説 仮面ライダーファイズ (講談社キャラクター文庫)

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 夢ってのは呪いと同じなんだ…